1948
家業としていかの加工を開始
当時は戦後の食糧難で貧しい家庭も多い状況でした。漁港に上がったスルメを(恐らく備蓄用として地元で安く分けて貰ったもの)、自宅で伸ばしてサッカリン(甘味料)を塗り、広島駅前や荒神町(元商店街)で売ったところ、飛ぶように売れました。
1950
高度経済成長期とともにスーパーマーケットが誕生
同時に今までは単店の八百屋や乾物屋、食料品店といったパパママストアが主流でしたが、「スーパーマーケット」が誕生、チェーン化により店舗数が増え戦後の経済成長と合わさって商品の流通量が爆発的に増加していきました。
1973
4月 ㈲スグル食品を設立
1975
【㈲スグル食品】㈱おおしお食販に業務委譲して閉鎖
4月19日に「㈱おおしお食販」を設立、「㈲スグル食品」は「㈱おおしお食販」に業務委譲し閉業しました。
㈱おおしお食販を㈱スグル食品に改称
“プッチン”との出会い
主力商品の原料である“いか原料”の入手が困難であったため「いか粉を混ぜた魚肉シート」をフライにすることで弊社商品の目玉商品とすることとしました。これが現在のいか味天という商品です。
ビッグカツの原型「おやつ串カツ」が誕生。駄菓子屋で販売開始
プッチンを使い、いか味天のような天ぷらができるのであればカツもできるのではないか、ということで子供たちに人気のトンカツをモチーフにしようとビッグカツの原型が誕生しました。
肉っぽい魚肉シートを開発、当時は串に刺して大きなポットに30本入れで駄菓子屋の店頭に一本10円で販売するスタイルと、大袋にグラム計量で袋詰めしおつまみ売り場に展開するスタイルを取っていました。(画像はさらにそのあとのものです)
~1985年 いかサーティ販売開始
1980
11月 【㈱スグル食品】製造部門を分割し広工場を新設
ビッグカツは現在の形へ
この頃からスーパーやコンビニが台頭し、ビッグカツをポット売りから一個ずつ包装する必要が出てきたため現在の形態に落ち着きました。
1984
㈲スグル食品を設立(リターン)
1985
~1990年 イカトマト・イカビーフ・テリヤキカツ販売開始
丸形タイプのいか姿フライ“イカトマト”
四角いタイプのいか姿フライ“イカビーフ”
ビッグカツを小さくカットしケチャップソース味でテリヤキ味を再現したテリヤキカツ。
1990
3月 【㈱スグル食品】呉市郷原町にて第二事業部開設
3月1日には呉市郷原町にいか姿フライをメインとする郷原工場を新設しました。
~1995年 スティックカツビーフタイプ販売開始
【㈱スグル食品】練り製品事業(かまぼこ・がんす)開始
ビッグカツの原料となる“タラのすり身”を活かして練り製品の製造を開始しました。
1997
1月 【㈲スグル食品】㈱すぐるに改組、改称
1月 【㈱すぐる】三菱商事㈱と総発売元契約締結
1月 【㈱すぐる】大塩俊が代表取締役社長就任
2004
【㈱スグル食品】本社移転
2004
5月 【㈱スグル食品】郷原工場 食品衛生優良施設(広島県食品衛生協会)認定
2005
【㈱すぐる】カープカツ販売開始
2005年に当社の主力商品であるカープカツを筆頭に、名古屋みそカツ、ハムカツ、カレーカツ等、色々なバリュエーションのカツ商品を開発・販売していきました。
2005
3月 【㈱すぐる】ISO9001取得
【㈱スグル食品】ISO9001取得(本社・工場)
2009
5月 【㈱スグル食品】郷原工場 食品衛生施設模範(広島県知事)認定
2010
【㈱スグル食品】営業本部を設け、㈱すぐると連携強化
2013
7月 【㈱スグル食品】郷原工場 食品衛生優良施設(呉市)認定
11月 【㈱スグル食品】チーズがんすが「第24回全国水産加工品総合品質審査会」にて 主婦大賞・若者大賞受賞
2015
5月 【㈱すぐる】ビッグカツが「所さんのニッポンの出番!「駄菓子世界ツアー第3弾!Inフランス」」にて駄菓子ランキング1位に
10月 【㈱スグル食品】郷原工場 食品衛生施設模範(日本食品衛生協会)認定
2016
3月 【㈱スグル食品】21g白身魚にのりわさびが「美食女子グランプリ2016」にて銀賞受賞
7月 【㈱スグル食品】郷原工場 食品衛生優良施設(呉市)認定
2017
1月 【㈱スグル食品】丸天がんす大が「第27回全国水産加工品総合品質審査会」にて 主婦大賞受賞
3月 【㈱すぐる】旧海軍カレーカツが「ご当地グランプリ」にて金賞受賞
5月 【㈱スグル食品】郷原工場 食品衛生優良施設(広島県食品衛生協会)認定
2020
9月 【㈱スグル食品】「第7回広島県働き方改革実践認定企業」内定
2023